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2007-12-29 Sat 01:40
不透明なグラスの中、真水にレモンを一滴たらす。雨上がりの夜明け前、わたしは独り硬い椅子に坐っている。ふと思うところがあって、空の鳥籠を近くに寄せた。そしてまた、レモンを一滴たらす。 「青い鳥が死んだ」 呟いて噴き出す。グラスが倒れた。レモンの香が幽かに周囲に漂う。 「ごめんね」 幸福な寝顔にささやく。頬にキスする。 (レモンを流しに置いておいで) この愛しいひとは、深い眠りの中からでも、わたしに語りかける。わたしはレモンを流しにそっと置いた。濡れた絨毯はそのままに、窓を開ける。夏が近い、梅雨の狭間。青い青い空。 「溺れたら大変ね」 (ああ、きっと大変だよ) 「苦しいわ」 (うん、きっと苦しい) 「死んでしまうかもしれない」 この青は冷たい、残酷だ、救いのない世界、わたしは思う。 「助けてね」 (……) 「もしも、わたしが溺れたら、助けにきてね」 (……) 「いいの、いいから、そう…、助けにきて!」 (ああ) 頬にキスする。ケットを這い上がって。胸に顔をうずめる。唇をなぞる。そのまま自分の唇を重ねる。舌で愛撫する。哀しい笑顔、そんなふうに微笑んでから、離れる。 ああ、本当に残酷な青だわ! ガラス戸を閉めて、独り、夜明け前の残酷を語る。そういう女になってみる。救いのない世界がどれほどのものか。 「冷たい、冷たい、怖い、怖いわ、あなた、とても怖いわ」 涙を流す。熱い熱い涙を……。そして、愛しいひとのもとへ。 「抱きしめて」 腕の中に潜り込む。幼稚な女。涙はすぐに乾いた。本当はそういう女。ただの女。愛しい腕がわたしをやさしく包み込む。 (夜明けだよ、君のからだを、美しく照らしている、ほら) レモンの香が鼻につく。わたしは眉をひそめて……。 |
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2007-12-29 Sat 01:39
夜毎、顔を合わす猫がいた。 あるとき、猫は、白いバンの下にいた。 腰をかがめて覗き込んだら、猫が、「にゃん」とわたしに言った。 わたしは、同じくらいの高音で、「にゃん」と返した。 風鈴が、リン……と左の方から聞こえて、わたしは猫と別れた。 猫は、白に薄い茶のブチだった。 ブチ! わたしは呼んでみたかったが、猫はやはり猫だった。 ブチという名の猫ではなく、名を持たない、それゆえ、自由をひけらかす特権を与えられた、猫だった。 わたしの日常は、家事と、一人の男の所有ゆえ、彼を満足させること、彼を癒す女でいることに、日々の活力を注でいた。 「あるはずのない、穴、がある」「あるはずのない、穴、に苦しめられている」「穴が塞がらない」「穴が塞がらない」 いくつも、ぼろぼろと、独り言をこぼした。 膝掛けの上に、灰色のしみを付けながら。 あるはずのない灰色のしみを。 それで、いつか、いつか全身が灰色になるとおののきながら。 今日は、洗濯をして、アイロンを掛けて、病院へ行って、その帰り道、二枚におろした鯖を、スーパーで買った。 猫には会わなかった。 通りすがりの散歩犬には、無視をされた。 「犬は嫌いじゃき」唇をとがらす。 そして、一瞬だけ、神様に甘える。空が、秋だよ、と言っていた。 「もう秋…」 紅い唇を擦り合わせる。 気付いたら、そう、秋だった。 わたしはいつ、風鈴を仕舞ったのか。 他の家はいつ風鈴を仕舞ったのか。 なぜ、わたしは化粧をしているのか、カーキ色のブラウスを着て、髪を丹念に梳かして。 わたしはなぜ、いつ、秋を知ったのか、他所行きの洋服を着て、どこに行く暇もないのに。 独り、ようやく秋に気付く。 わたしは、家の内にいた。 洋服のしわを伸ばしながら、部屋中をぐるぐると回る。 よくわからないが、外では声が怒っていた。 わたしは頭をかかえて、また、独り言を、ぼろぼろとこぼす。 「穴は、いつ塞がる、穴は、なんで空いた、穴は、わたしを呑み込む」 「灰色になりたくない、灰色になりたくない」 「恐い、恐いよぅ」 恐い……、それが全てだった。 わたしは何もかもに怯えていた。 『あるはずのない穴、しかしその穴が、いつかわたしを呑み込む。「灰色」を拒む身体、気付かない秋』 猫が、「にゃん」と言った。 窓の向こうから。 わたしは窓を開けて、「にゃん」と返した。 白に茶のブチ。 隣家の塀を軽い足取りで行く。 「ブチ!」 わたしは叫んだ。 猫はゆっくりと空を仰ぎ見て、(「秋だよ」というお告げを聞いて)振り返った。 「にゃん」 |
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2007-12-29 Sat 01:38
幼い頃、空へ手をかざしたときに、その輪郭が日光に潰された感覚に似ています。 わたしはあのとき、とても幸福でした。 自分のカラダの一部が消えている、虚空に消えている――。 あのときよりも、太陽の力を借りなくとも、わたしのカラダは大分消えてしまったように思います。 だから、こうしてあなたに手紙を書いている間にも、わたしは心配します。 一体、あなたにわたしの一々の言葉が分かるかしら…。 わたしは他人に理解されるような人間ではありません。 六ヶ月前あたりから、本を読んでもまるで面白くなくなりました。 音楽もつまらなく感じます。 闇にも興味がなくなりました。 あれほど怖かった光も、闇に笑うバケモノに遭ってからは、光に頼る生活に替わりました。 どんなに鮮明な赤に出会っても、それが子供のものでも、わたしは感動しません。 あなたは軽蔑するでしょうけれど、わたしはああいう赤を見ると、興奮するのよ。 背筋にぞっと魚の鱗がこすれたような震えが起こるの。 でもいまは駄目です。 先月のことをお話しましょう。 (ごめんなさいね、とても退屈なの、…いえ、やらなければならないことは沢山あるのよ、洗物とか、掃除機もかけなきゃいけないし、あと、お風呂へ入らなくちゃ!わたし今日、外出するつもりなの、笑わないで、本当よ、でもカラダが、カラダが動いてくれない、動きたくても、重たいのよ、とても、まるで鉛のようだわ…。) 先月、わたしは配膳のお仕事に出向くために、ある駅から、上りの電車に乗りました。 その日も重たいカラダを、詳しく言えば、重たい両足を、無理矢理くっつけて動かす具合、重たい両腕は、面倒臭そうにぶら下がっている具合、眼は虚ろ、口は閉じても閉じても、気付いたら、下顎がだらしなく下がって…、 あまりにも醜い女の姿です。 そして、わたしはドアの前に、俯いて立ちました。 ドアが閉まります。 電車は動き始めました。 ところが、いきなり停まってしまったのです。 がくんっとなって。 原因は人身事故でした。 「十四時十五分、緊急停車信号発令のため、横須賀線貨物線付近の電車緊急停車中、約十五分後運行再開」 前に聞いた話です。 ああいうものの片付けは、車掌さんがすべてなさるんですってね。 仕事のうちなんですって。 その仕事はとても機械的に行われるそうで、やがて、 「人形みたい」、 に、なっていくらしいの。 わたしの勝手な想像だけれど、組み立て人形があるでしょう、あれは組み立て終えた、完成された状態で売っているけれど、その前の段階のようなものかしら、と思ったの。 でも、あれも、酷いわよね、なんだか悲しくなってくるものがあるわ。 あの、肌色の、一つ一つのパーツを見ると……。 それに比べると、わたしの状態は、ずいぶん好いと思うんです。 最終的には、人身事故を起こした人と、同じものになってしまうとしても、 わたしの感覚とその人が持っていた感覚、結果受けた感覚とは、かなりの違いがあると思うのです。 今日も、わたしのカラダは、承知のとおり、重たい鉛で出来ています。 しかし、先月の件で、約十五分後の運行再開があり、目的の駅に無事着くことができたわたしは、ある、カラダの変化を感じずにはいられませんでした。 「カラダが透けている、軽い」 わたしはそのとき、重力を失っていたのです。 街を浮遊しているユウレイのように、そこにふんわり浮かんで止まっているのを実感しました。 |
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2007-12-29 Sat 01:35
私は、あるマンホールを、毎朝必ず踏んで登校しています。 そのマンホールについての話を、少しだけしたいと思います。 マンホールは、通学路にありました。 春には満開に色づく桜並木の通学路です。 私はそこを歩くのがとても好きでした。 足元も、天井も一面、ピンクの世界です。 冬は一変して、白銀の世界です。 冷たい雪に、寒々とした裸の木々が覆われます。 足元も、立ち止まる先からみるみる白く染まっていきます。 そして、秋です。私が話したいのはこの季節のことです。 「さびしいから…」 彼は言いました。 彼というのはマンホールの中にいる男のことです。 この言葉は、「なぜ、秋に出てきたの」という、私の疑問に彼が応えたものです。 マンホールの男は茶色い体をしていました。 私はそれに気づいたとたん、 「なぜ、茶色い体をしているの」 と聞いていました。 それから、 「なぜ、マンホールに住んでいるの」 「なぜ、そんなに細い体なの」 「歳は」 「どうやって生きてるの」 「男の人?」 一気に、湧き上がる興味のままに、私はマンホールの男に聞きました。 彼は、その間目を閉じて頭を垂れた格好でじっとしていましたが、私が、一言「さあ」と促すと、それに押されて、堰を切ったように、するすると喋り出しました。 「茶色い体は、目立たないように、ワタシは秋に出てくるので、そのため。マンホールに住んでいるのではなく、単に、マンホールの中にいるだけ。あまり食欲がないので、細い体になった。歳はそちらと同じくらい。生きている方法もそちらと同じ。ワタシは男だ」 マンホールの男はうなだれた猫のようです。 私は、 「同じ歳なのね!」 と息巻いて、その日は帰りました。 次の日、朝、登校途中、私はマンホールを足で蹴り上げました。 が、上手く開きません。 仕方が無いので、マンホールの横におとなしくしゃがみ込むと、コンコン、とドアを叩くときと同じ具合に、鉄の蓋に向かいました。 マンホールが、ゆっくりと開きました。 私は即座に、 「どうして、昨日は出ていたの」 と聞きました。 マンホールから、男はまだ出てきていません。 ただ、その細くて茶色い数本の指と手首が見えているだけです。 「…」 「どうして、誰にも見つからなかったの」 私は男の返事を待たずに再び問いかけました。 「さびしかったから」 マンホールの男は、やっとのことで蓋を横にずらすと、そう言いました。 それから続けて、 「見つからないように、茶色くしているから」 と言いました。 私はすごい発見をしたように、声を高くして、 「ねえ! どうして、私に見つかったの」 と聞きました。 マンホールの男は、考える風もなく、 「見つかってしまったから」 とうなだれた猫のように応えました。 彼は、もう、穴の上に胡坐をかいている調子です。 その次の日も、私は朝早く、マンホールの男に会いに行きました。 しかし、マンホールの蓋は閉じていました。 そこで、昨日と同じように、おとなしくしゃがんで、コンコン、とやったわけです。 マンホールの蓋は、そのマンホールが全ての世界のような音を出して、地震を起こして、開きました。 「おはよう」 私はマンホールの男に言いました。 彼は黙っています。 蓋はすっかり開きました。 ところが、彼は黙ったまま出てくる様子がありません。 私はちょっと躊躇いましたが、試しにと思って彼に聞きました。 「どうして、出てこないの」 マンホールの男は、 「出ていきたくないから」 と応えました。 私はなんだか胸がいっぱいになったような感じがして、目を輝かせて、しかし、ゆっくりと聞きました。 「どうして、うなだれているの」 マンホールの男が、穴から出てきました。 そして、うなだれた猫のように、私の前で胡坐をかきました。 「どうして、うなだれてるの」 私は同じ質問を、今度はとてもやさしく彼にしました。 「うなだれたいから」 彼は応えました。 「うなだれた猫みたいよ!」 私は叫んで、彼のもとを後にしました。 だんだん、〈マンホールの男の仕組み〉が、私にわかってきました。 その日も私は急ぐ足を制しながら、しかし、熱い息をせかせか噴き出しながら、彼に会いに行きました。 「おはよう」 私はマンホールの男に言いました。 彼は、やはり黙っています。 仕方なく、 「どうして胡坐をかいているの」 と私は彼に聞きました。 マンホールの男は、まだ、マンホールの穴から出てきていません。 私の問いで、ようやく男が出てきました。 改めて見ていると、非常にすばやい動作です。 私は少し恐ろしくなりました。 「胡坐をかきたいから」 彼は応えました。 「どうして、胡坐をかきたいの」 「楽だから」 「どうして楽なの」 「男だから」 「どうして男なの」 「そう、生まれたから」 「じゃあ、どうして私は女なの」 私は、口をつぐみたくてしょうがありませんでした。 しかし、不思議なことに、それができないのです。 「そちらが、そう、生まれたから」 「どうして?」 「ワタシと出会うため」 「違う!」 私は叫びました。 そして続けました。 とても冷静に、とても冷淡に。 「どうしてマンホールの中にいるの」 彼は苦しそうに応えました。 「…マンホールの中にいたいから」 「そう、じゃあ、マンホールの中にいるといいわ」 私は彼に告げました。 「ずっと、マンホールの中にいるといいわ」 彼は何も応えませんでした。 私は走って彼のもとを去りました。 秋になると、私は、通学路にあるマンホールの横に、しゃがみ込みます。 そして、とても小さな声で、 「おはよう」 と声をかけます。 |
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2007-12-29 Sat 01:32
薄暗く長いトンネルの向こうに、 小さな光が見える。 幼いわたしと十になる兄は、 トンネルの入り口に立っていた。 わたしは兄に尋ねる。 「ねえ、にい、あの光は大きい?」 兄は答える。 「うん、大きいだろうね」 わたしは少し俯いて、 足元の黄緑色を見詰める。 カマキリが思い切り背を反って空を仰いでいた。 わたしは兄の方へ顔を上げてまた尋ねる。 「ねえ、にい、あの光は黄色かしらん?」 兄はまた答える。 「うん、黄色だろうね」 「でも、でも、近くに行ったら、少し青いかもしれないね?ね?」 わたしは兄の返事を遮って聞いた。 「うん、近くに行ったら青いかもしれない」 兄は答えた。 兄は先からちっともこちらを見ない。 じっとトンネルの闇に視線を投げている。 怪訝そうな顔で。執拗な体で。 わたしはそんな兄を恐々と見え上げながら、手と足をもじもじさせた。 「ねえ、にい?」 「うん」 「あの光は怖い?」 「うん」 「それとも、キレイかしらん」 「うん」 「ねえ、キレイだったらいいね?」 わたしは兄に微笑みかけた。 しかし、 やはり兄はこちらを見なかった。 カマキリが、いつかわたしの足元を離れていた。 わたしは咄嗟にカマキリを探す。 空では大きな白い陽がわたしと兄を呑み込まんばかりに燃えていた。 わたしはカマキリを見つけた。 それは兄の足の下でぐしゃりとしていた。 「なあ」 兄が言った。 トンネルの闇に視線を投げたまま。 「向こうに行ってみようか」 |
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2007-12-29 Sat 01:31
彼は、わたしの現在という重たい物品を、軽々と胸ポケットにしまいました。 わたしの名は幸田英子といいます。 歳は二十二です。 生活は不自由ないです。 一人の男性の所有ゆえ、他人から愛される末に生まれる産物も知っている次第です。 よく心得ています。 貴方が心配するようなことはありません。 安心してください。 ところで、貴方と出会ってから、もう一年と半年が経ちます。 これは承知の上、しかもお互い合致の上であるけれど、貴方とわたしは、あまりにもお互いを知らな過ぎますね。 笑ってしまうほど、ときに困ってしまうほどです。 そうした事情の下、わたしは自分の事を少しだけ貴方に知ってもらおうと(先に書いた通りですが)この手紙を書きました。 正直、勇気が要りました。 わかっていると思うけれど、貴方は、ご自分のことをわたしに教えてくれないでしょう? だから、少しは卑屈になってしまうのも無理はないでしょう? でも、いいんです。 一方的でも、貴方がご自分のことをわたしに話してくれなくても、いいと考えています。 その方が、お互い気持ちがいいものなのかもしれないし。 貴方は、そうしたことを十分考慮出来る人だと思いますから。 しかし、この間、突然あんなお手紙を頂戴して、 「貴方を心配しています。」 わたしはびっくりしてしまいました。 貴方らしい、といってもどういうものが貴方らしいのかさえわかりませんが、(本当にわからないものね、また笑っちゃう) でも、なんだか、貴方らしいと感じました。 だってもう一年半ですもの、少しはわかってもいいと思わない? それから、文書の内容です。 暖か味を感じました。 これも貴方らしさにつながります。 でも、どうしてかしら、わたしになにか起こったとお思いになったのかしら?なぜ、そうお思いになったのかしら、わかってしまうの?貴方には、わたしの全てが、 それともテレパシーの類かしら、ひらめきの類かしら、貴方は心配性? 突然心配性になられたの? 心のご病気なの?なんだかわたしの方が心配になってきちゃった。 貴方がわたしの包み人だから? わたしの現在が見えるのかしら、水晶玉のようなものを持ってらっしゃる? うそよ、ごめんなさい、冗談が過ぎましたね。 なんだか不思議でおかしくって。 貴方という存在も、貴方からいただいたお手紙も。 そうね、きっと、貴方がわたしの包み人だから、きっとそうね。 これもへんな話だけれど、コンピューターの時代に。 あの日、貴方はわたしの包み人になってくれたのだから、そう信じましょう。 あの日のことを語ってもいいかしら、と言っても語ってしまうけれど、だって、言いたくって言いたくって仕方がなかったんですもの、いいわよね、許してくださいね。 あの日、貴方は黒いスーツをお召しになって、明け方の公園を、まだ月の鮮やかに残る、(満月だったかしら)ベンチに座って、わたしを呼び止めた。 わたしは初め不審者かと思って、すごく警戒したの。 でも、貴方の顔はとても穏やかで、わたしはつい、貴方の隣に座ったわ。 そして貴方はこう言った。 わたしをまっすぐに見つめて、 「貴方の包み人にしてはいただけないか」 と。 わたしは聞き返しましたね、包み人の意味がわからなくって。 そしたら貴方は、こう教えてくれました。 「包み人というのは、貴方の現在を包み、預かる人間のことです。貴方の現在はとても重そうだから、私が包んで、言うなればオブラートのように、見えづらくさせる人間のことです」 そして貴方はわたしの現在を、物品として、胸ポケットに仕舞いましたね。 現在が物品になるなんて! と思ったけれど、あのときは周りが暗くて、あんまりよく見えなかった、自分の現在。 でも、貴方が持たせてくれたでしょう、てのひらより小さな円盤のようなもの。 持ってごらんなさいって、こんなに重たいんですよって、驚いたわ、すっごく重たかったから。 あの日以来、わたしはとても自分とは思えないほどの仕事をしてきました。 心が軽いというのかしら、毎日が苦痛じゃないのね、これって奇跡!と最初は思ったわ。 でもすぐに慣れた。 人間って、皆って、けっこう楽に生きているものなのかなって思うようになったの、そう思ったら、人生が輝かしく感じられてきて、愛を初めて、きっと初めてね、愛を初めて知ることも出来ました。 貴方のお陰です。 感謝しています。 ところで、そうした毎日を送るわたしに、なぜあのような内容のお手紙を? 詳細を知りたいわ。 是非お聞かせ願いたいわ。 わたしの現在に心配な点があるのなら。 わたしの現在は、たしかに、いま手元にありません。 貴方が持っていらっしゃる。 けれども、それは預けたもの、貴方の私物ではないわ、わたしのものです。 わたしに、わたしの現在を知る権利はあるでしょう? これは正論だと思います。 お返事、お待ちしています。 彼は、包み人です。そうした職種の人間です。彼から返事がありました。 貴方の包みをお返しします。 重たい、重たい包みでした。 返事の手紙が届いた同じ日、包みはわたしの元へ戻りました。 夕刻、ポストに入っていたのです。 薄い紙に包まれた、てのひらより少し小さな円盤状のものが。 しかし、わたしは包みをどうしたらよいのかわかりません。 包みを開けていいものなのかどうか、開けることが、わたしにとっていいことなのかどうか、本当にわからないのです。 あの日以来、包み人の音信は途絶えました。 住所を尋ねたけれど、そこは県内でもひどく治安の悪い街の、麻雀店でした。 わたしはいまも、自分の現在を見ることができません。 包みを開けたとして、そこになにがあるのか、恐ろしくてなりません。 しかし、なにより不可解なのは、包み人は、どうやって、わたしの現在を、わたしの元から引き抜いたか、ということです。 しかも、それがいまは物品として、薄い紙に包まれているとはいっても、眼に見える形として、ここにあるのです。 あの夜明けの日のことを、もっとちゃんと思い出せたら、と毎日頭を抱えています。 (公園の場所さえ覚えていない!) けれども、あの闇が、そもそもの不運だったと痛感しました。 太陽が昇っていたら、太陽が昇って、わずかでも陽が射していたら、と、悔やまれてなりません。 |
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2006-07-17 Mon 14:43
ソーダ味の氷菓子を舐めていたら、 その水色が肥大して、 プールの水面程に広がって、 忙しない波紋は私を誘惑した。 いつしか、 私の上体はカシッと半分に折れ曲がり、 波紋の中心目掛けて飛び込んだ。 |
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2006-03-09 Thu 13:11
平たいところにいる わたしは小さく寝そべっている しかし 心は肥大して 平たいところを突き抜けていた 「さあ! さあ!」 懸命に手を伸ばしてくるのは ずいぶん昔に咲いたタンポポだ 「うるさい」 わたしはいった 遠くで飛行機がぶーんっと流れた わたしは夢中で目で追う 雲が虹色に輝いた わたしはうっとりと見入る 風が甘い香を連れてきた わたしは話しかける 「ねえ、あなたは、どこから来たの?」 風はなにも応えずに遠くへ消えた タンポポが 「ふう」と息を吐いた そして 「さあさあ」とまたやる わたしは「うるさい」といった ふと、喋々がわたしの耳元ではばたいた わたしは話しかける 「ねえ、あなた、きれいね」 喋々はなにも応えずに、頭のほうへ回る 「いなくならないで」 わたしは喋々にいった けれども、喋々はどこかへ行ってしまった 「さあさあ! 」 タンポポが頬を寄せてくる 「うるさい」 わたしはいった いつか、空は赤くなり、青くなり、黒くなった わたしは夜のなかで、心細かった なにも無い なにも見えない、聞こえない、感じない 「さあ!」 タンポポが その花びらの一枚を わたしの唇に乗せた 朝 わたしはだれにも声をかけない ずっと タンポポのほうを向いている 「さあ! さあ!」 タンポポがいった |
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2006-03-05 Sun 17:43
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