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2007-11-14 Wed 22:46
母親のエゴに応え続けた子どもの自分。
父親に頭を叩かれ脇腹を蹴られ往復ビンタをされ、 「お前なんかいらねー、出て行け」 罵倒された子どもの自分。 小学校の高学年以降になると、 母親の私への操縦は顕著になった。 父親のいる前で、 「ボタンはお父さんが嫌いだもんねー」 得意げな母親の顔。 「ボタンはお母さんとお父さんどっちが好き?」 父親のいる前で私に答えさせた。 暴力と母親の埋め込みで、 私は今でも父親に触れない。 母親の癇癪。 うちには極端にお皿がなかった。 母親が割ってしまうから。 いじめにあうため学校に行きたがらない私に、 「学校に行かないならお母さん死ぬから!」 手首に鉛筆を突きつけた。 (人を自分のいいようにコントロールするためには脅してやればいいんだ) 私は母親から多くの不適切なものを学習した。 父親と母親が私にくれたもの。 自分の人格形成に障害となる多くのもの。 それがための苦痛。 境界例という逃れられないレッテル。 命。 父親から「しつけ」という名の暴力を受けず、 母親から自殺の仄めかしをされなかった姉は、 昔から健全な人間関係を作ることができた。 でも、 私が父親から暴力を受けて泣き叫んでいるとき、 姉が自分のベッドの中で布団を頭から被って怯えていたのを私は知っている。 そして、 私と同じように、 人が何の気なしに頭の上に上げた手に対して、 首をすくめ目を閉じるのを知っている。 こんなふうにいうと極端な感じになるが、 姉は私の希望だった。 私の救いで、 私の光だった。 私は姉が大好きで、 私の味方は家族の中で姉だけだった。 姉は幾度となく私を守ってくれた。 私を抱き締め一緒に泣いてくれた。 自分の「常識」が間違いだと知る。 そういうことをしていく人生。 人から「正しい常識」を乞う人生。 それが境界例者の人生なのだと思う。 |
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2007-11-14 Wed 21:49
幼稚園の先生からいじめを黙視された子どもの自分。
私はそれ以来「先生」というものが大嫌いだ。 そして母親への信頼もなくなった。 過去、 いじめっ子グループにベッドに寝かされ服をめくるように要求され答えた子どもの自分がいる。 靴を隠された子どもの自分がいる。 幼稚園児とは思えないような巧みで執拗ないじめだった。 母は私の告白でいじめの事実を知り、 担当の先生に気をつけてみてくれるように言ったが、 その後も状況は何一つ変わらなかった。 私は相変わらずいじめられたし、 先生は黙視した。 私は母親にもう一度先生に言ってほしいと頼んだが、 母親の腰は重かった。 私の涙ながらの訴えに悲しそうな顔はしてくれるが、 ただそれだけだった。 信じがたいのは、 私へのいじめが発覚した以降も、 母親は以前と変わらずいじめっ子リーダーの家の母親同士の集まりに、 私を連れて行ったことだった。 私はそこでまたいじめにあうことになる。 しかし、 何事もなかったかのようにおしゃべりを楽しむ母親。 私はそのとき、 「お母さんは私を守ってくれないんだ。お母さんはみんなから疎外されるほうが怖いんだ。私のことでごたごたを起こしたくないんだ。世間体が大事なんだ。私のいじめはなかったことになったんだ」 そして私の叫びは「タブー」になった。 幼稚園に行きたがらない私を、 家族はいつか「甘ったれ」というようになった。 こういう過去は記事にすると思い出すから辛い。 |
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2007-11-14 Wed 20:30
他罰。
他者への攻撃、 激しい怒り。 そうしたエネルギーが枯れる日はいつだろう。 私は周りの人に甘えている。 私の言動や行動によって多くの人が傷付いている。 多くの人が不要な怒りや苛立ちや憤り、 不快感、 悲しみや虚しさを私から受けている。 私は周りの心優しい人たちによって生かされている。 間違いだらけの私の人生に、 多くの心優しい人たちが助言をしてくれる。 私の存在を認めてくれる。 私を無視しないでいてくれる。 とても有難い。 私は感謝の気持ちを忘れてはならない。 「人前で泣くこと」 私にはそれができない。 誰かと喜びを分かち合ったり、 悔しさや悲しさを乗り越えたりしたことがない。 私には人間関係を築く上での土台がない。 「欠陥人間」 私はそれだ。 |
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2007-11-06 Tue 19:06
事情。
人にはそれぞれ事情があるのだなと思った。 私には到底わからない深い事情があって、 人はそういったものを受け止めたり拒否したりしながら生きている。 自分が人生の中で必要だったり重要としているものが「愛」であったとしても、 「与える愛」と「受ける愛」では大分感じが違うし。 私は大きな愛の内に支えられて生きているのだと思った。 問題なのは私が甘えてしまうことだったり鈍感だったりすること。 |
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2007-11-03 Sat 15:04
例えば境界例では一般的に境界例患者本人に批判が向く。
例えばアルコール依存症では一般的にアルコール依存症患者本人に批判が向く。 家族は本人に辟易していて、 迷惑がる。 治らないと腹を立てる。 しかし、 問題の核はその家族機能そのものにある。 子どもを境界例に育て上げる機能不全家族。 夫をアルコール依存症に仕立て上げる機能不全家族。 共依存。 主に境界例では、 母子密着が顕著で、 母親は子どもの個性や自立心を許さない。 子どもは母親の愛情の海で溺れかけているというのに、 母親はまったく気付こうとしない。 子どもを自分の身体の一部に取り込んでしまおうとする勢いだろう。 子どもは息が出来なくて今にも窒息してしまいそうなのに。 私は自覚の無い自分の母親が嫌いだ。 自覚を持とうとしない、 問題の責任をすべて子どもに押し付けた母親を許せない。 彼女は私がクリニックへの付き添いを頼んだときに拒否した。 行きたくないと言って拒否した。 摂食障害には家族面接は有効で、 家族への介入は治癒への一歩だ。 私は自分の母親は鬼だと思った。 子どもが苦しんでいるというのに、 助けを求めた手を振り払ったのだ。 きっとそのときからだろう。 私が母親への期待を諦め、 母親を捨てる道を歩き始めたのは。 私には母親はいない。 そして、 たぶん父親もいない。 私が受けた五年間のクリニック診療のうち、 父親がクリニックへ来たのはたったの1回だった。 クリニックの臨床心理士がひきこもり患者の家族向けに定期的に勉強会のようなものを開いていて、 私は主治医から再三に渡って家族に来てもらうよう言われていた。 それへの参加を促す用紙も家に何度も来ていた。 しかし、 父親は渋々1回行っただけだった。 そして家に帰ってこう吐き捨てた。 「カウンセラーっていうのは人格者気取りだな」 私は主治医に言った。 「この間一度だけ来てくれたときも泣いて頼んだんです。お願いだから来てって泣いてすがらないと来てくれません」 主治医は呆れていた。 「死んだら死んだで仕方ない」 これは父親が苦しんでいる私に吐いた言葉。 私は一生こういうものを背負って生きていく。 |
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2007-11-03 Sat 14:00
今まで明確な目標を設定してこなかったことに気付いた。
私はなにがしたいのか。 こんな問いをすると、 まずなにが出来るかが重要だと人から指摘されるのだが… とりあえずなにがしたいのか自分でもはっきりしていなかったので書いてみた。(出来るかどうかは別だけど) ・摂食障害者及び広く依存症者の支援。専門病院、セルフヘルプグルー プなど ・企業のメンタルヘルスに関する仕事、予防や情報提供、休職や復職に 関しての相談、パイプ役など ・精神障害者の就職支援及び生活保護を受給する精神障害者の就職支援 など 他に興味があることを書いてみた。(精神保健福祉士の資格では出来ないものも含むまたボランティアも含む) ・ホームレスの支援 ・児童養護施設 ・精神保健福祉センター ・こころの電話相談 ・児童相談所 精神保健福祉士の資格でどんな仕事ができるのか、 どんな就職先があるのか、 社会福祉士の資格は必要か、 情報を集めたり先生に相談したり… 必要ならば卒業後2年以内に社会福祉士の資格習得も考えに入れた就職先を探さなければならないし。 ただ、 夫によくいわれる。 就職先はそんなに選べない。 出来るかどうかやりたいかどうかではなく「やる」のが仕事。 欲張ってはいけない。 でも、 「ぶれないもの」 は欲しい。 つまり「夢」とか「目標」は欲しい。 そこに向かうためには今なにをする必要があってなにが不必要か選択していこう。 |
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2007-11-03 Sat 02:05
私は類まれな自己中だと思う。
そして境界例は自己中なのだと思う。 それから境界例者がそんなにたくさんいるはずもなく(いても困る)、 類まれな迷惑女なのだと思う。 あまりにも我が強過ぎなので、 周りが辟易している。 自覚はあっても…あるのかな…?怪しいですが; 言葉をオブラートに包むとか、 一言添えるとか、 相手の気持ちを考えるとか、 そのときに出来ない。 つまり、 自分の意見を述べているときにできない。 なぜか、 強迫的に喋っているからだと思う。 次にこれを言わないと忘れちゃうっていう感じだったり、 これを言わないと自分の気持ちに嘘を付いてしまうっていう感じだったり、 重症だと思った。 なんなんだ? と自分で自分が不愉快になった。 他人を無視していいはずがない。 他人の気持ちを無視していいはずがない。 失敗ばかりだ。 私はたぶん幼稚園生の頃から思考回路がほぼ成長してないのだろう。 |
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2007-11-01 Thu 18:16
他者から見た自分ではない。
他者の評価を気にしての自分ではない。 「自分と向き合う」 「自分と対話する」 「自分を振り返る」 「自分をみつめる」 今までそういうことをしてこなかったことに気が付いた。 最近は意識的にしている。 といって内に向かうとかいう感じとも少し違って、 自分の存在を無視しない姿勢という感じ。 すると自分が喜んでいるような気がしてくる。 |
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