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2008-04-30 Wed 22:44
「人間嫌悪感」は、
フラッシュバックかもしれない。 |
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2008-04-30 Wed 22:42
正直な話、
私はまだ人を信頼するということが出来ていない。 だからブログでも、 夫を悪く言う記事を書いてしまうことがある。 夫を傷付けてしまうことがある。 それはやはり私の夫への依存であったり、 夫に対する不信であったり、 夫を操作しようとする悪い心であったりするのだろう。 私の今の目標は夫を信頼することだ。 訝ることをせずに、 夫の愛を心から信頼することだ。 |
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2008-04-30 Wed 22:27
私は学校で人の悪口を言わない。
言わなくなった。 自分が悪口を言っていると人からも自分の悪口を言われるということを学んだからだ。 学校では、 自分が自分の人間関係に不満がなければ悪口を言う必要はないという思考に切り替わる。 でも家では友達の悪口を言う。 これは一種の甘えだと思う。 仲良くしている子が、 「もう悪口とか言わないようにしようと思う」 と言っているそばから悪口を連発してくる。 この子は自己認識がちゃんとできない子なのか?と怪しむ。 私は悪口を言いたくないので、 彼女の悪口には乗っからない。 すると彼女は、 「ボタンはこういう話聞くの嫌でしょ?だからあたしもするのやめようと思うの」 とまた言ってくる。 だから私が、 「○○ちゃんが××ちゃんの悪口を言っていてもぜんぜん気にしないし別に嫌じゃないよ。それで○○ちゃんの印象が変わることもないしもちろん××ちゃんの印象も変わらないしね。ふーんそういう見方もあるのかーって私は思ってるから」 と言ったら彼女は不満気な顔をした。 そしてとうとうこの間、 彼女は私に向かって私の不満を零した。 ああとうとう来たなって感じだ。 本当に面倒臭い。 また面倒臭い子にひっかかってしまったという感じ。 まあ距離を置くしかないだろう。 改めて、 誰かを支配しようとする無意識の悪い力が働くのは、 母子関係や恋人間夫婦間の関係だけにとどまらないのだなあと脅威を感じた。 今回のことで、 私は未だ連鎖の渦の中なのだということに気付かされてしまった感じだ。 |
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2008-04-21 Mon 21:16
2003年のアヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞した、
山本浩二さんの「頭山」を見ました。 とても個性的で印象深い作品でした。 前に「カフカ田舎医者」が雑誌で紹介されていて、 そのときは作者名までは覚えられなかったのですが、 そのタッチが脳裏に焼きついていたので、 「頭山」を見たときすぐに同じ作者だとわかりました。 カフカに触れたついでに、 岩波文庫の「田舎医者」を読み直し、 私の一番好きな「父の気がかり」も読み直すことが出来ました。 作品への愛情が本物で、 作品への熱意に嘘がないほど、 その作品は純粋で、 見る人をとりこにするのだなと思いました。 |
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2008-04-21 Mon 20:18
体調を崩しました。
自分の気持ちに無関心になって、 現実的な問題を片付けるべく頑張っていたら、 即、体調を崩しました。 私はつくづく駄目な人間だと思いました。 抑うつ状態を放っておいたのがいけなかったのか、 また思考力の低下が気になっています。 なんだか慢性化して症状が凝り固まってしまったようにも思えます。 自分にがっかりすることばかりで嫌になります。 |
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2008-04-18 Fri 23:28
先のことを考えて、
少しだけ我慢。 寝不足が続き、 体調を崩し、 離人感が強く出ている。 そのため、 空気が読めず無口になるけれど、 それならそれでいいやと思っている。 もはや人形を前にして、 自らも人形になって、 偽者の地球で動く。 離人感が強いと、 私は二つの地球を想像してしまう。 気付かない間に、 自分が偽者の地球に連れて来られている。 |
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2008-04-12 Sat 16:54
境界例者がD・V被害者になることが多い気がする。
境界例者って…。 |
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2008-04-10 Thu 23:42
悪夢を見た。
暴力を振るう彼の目。 血の通わない。 冷たく凍った目。 夫の暴力による影響。 彼が暴力を振るわなくなって一年が経つが。 こうして記事を書いている今も過呼吸を起こしそうだ。 さっき、 彼氏からDVを受けるヒロインのドラマを見た。 胸がそわそわして息が苦しくなった。 「逃げなきゃ」 「逃げなきゃ逃げなきゃ」 心臓がそう警告を出す。 いまもなき止まない。 |
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2008-04-03 Thu 20:34
私の過食嘔吐。
もう私も夫も慣れてしまっていて、 その不自然さや、 異常さや、 危機感なんかが、 「慣れ」によって消えかかっているようだ。 よくいう、 引きこもりの子供がいる状況に親が慣れるみたいに。 そこには諦めや、 虚無感や、 疲労感があって、 いいや、 このままで、 という心境になっていたりする。 たぶん。 私も夫もそうで、 日常的な過食嘔吐への積極的なアプローチは意味をなさないかのようになっている。 タブーみたいに。 イライラの原因みたいに。 でも、 治らないものは治らない。 それが事実だ。 私は治せないでいる。 そして治せない自分が長くいればいるほど自責感も増していく。 すでに夫と私の共同作業で治すといことは意識されない。 全ては私の個人的な問題だ なにかの拍子に、 ちょっとした衝動で私は死を選ぶかもしれない。 しかしそうなったとしても自分を治せなかった私の頑張りが足りなかったに過ぎないだろう。 |
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2008-04-03 Thu 12:29
最近思うのだが、
こう境界例的なうつ病が増えると、(私には増えているように思える。) もしかして自分に「自分はうつ」という暗示をかけているのではないかと思えてしまう。 つまり「うつ」という(古典的な意味での)ヒステリー状態になっているのではないかと。 どうしてそう思うか。 うつの症状を自覚し医者からも抗うつ剤を処方されている人の日常に、 疾病利得が絡み付いているようにみえるからだ。 もともと依存欲求が強く同情を欲する人たちが、 「うつ」の流行に乗っかって、 うつ病を(無意識に)自ら患いそれを利用して、 家族や周囲の人間、広く社会までも巻き込み、 その同情の眼差しに酔いしれている。 ここまで書いて思うが、 私にはぜんぜん関係のない話だ。 詳しくは私の「治癒」には関係のない話。 ただ、 そういう人たちは随分人生を無駄にしているなあとは思う。 とはいってもそれで(他者の同情を受け続けるということに)そういう人たちは人生に満足しちゃっているのかもしれないが。 または自分の人生への敗北感がそういう人たちをそういう偏屈な方向へと走らせてしまうのかもしれない。 将来「暗示性うつ」の人たちに関わることがあるかもしれないけれど、 きっと好きにはなれないだろうなあ。 でも仕事は仕事だから全力で支援はするけれど。 (自分の身近な過去を振返って理解できちゃうし。) |
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2008-04-03 Thu 12:14
一日を終えた自分の評価を高めるために、
その日一日を過ごす。 悔やむのだ。 一日を終えてその日一日を振返って。 それが不愉快でならない。 それなら自分に誇れる一日を過ごそうと思った。 けして悔やみたくないと思った。 「頑張る」ということを強調するためではなく、 「誰かのため」を主張したいがためでもなく、 ただ悔やみたくないないため、 悔やむという感情があまりに不快であるため、 悔やみ落ち込むという連鎖があまりに無駄であると気付いてしまったため、 私は「自称うつ」を断ち切る。 きっと境界例の「うつ」なんてその程度だ。 その程度だから簡単に解消するし、 つまり甘えちゃっているだけだろう。 あるいは暗示か。 |
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2008-04-01 Tue 19:59
私は自分が境界例だと知ってから、
少しずつしかし確実に母と距離をとってきた。 母を傷付けることなくごく自然にみえるように。 同じく父とも距離をとった。 私はこれから老いていくだけの人たちを(心の中で咎めることはあっても)正面から咎めるつもりはない。 やっと辿り付けた「ここ」。 私の大切な「家族」。 そこには愛する夫がいる。 前進する意志がある。 そう信じたい。 |
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